すごく、すごく久しぶりの更新です。
今月、実家に戻りました。約4年ぶりでしょうか。(家を出たのが19歳の時だったので…)
現在無職で、これが家事手伝いというやつでしょうか。ペーパードライバーの私は車はあるけど運転できず、田舎過ぎて徒歩圏内に働き口がひとつもない、生活費を稼ぐことが困難な状況です。自転車に乗れれば行動範囲が広がりそうなんですが……。
神奈川で暮らしていた時、右足を大けがし救急搬送されて、それから4か月の入院生活をしたのですが後遺症が残ってしまい、感覚無し、足の指と足首が動かせなくなりました。
けがをしたのは太もも裏。十字傷のようになっています。ガラスが刺さったようです。気が付いたら倒れ込み何が起こったか分からない状態で激痛が走り意識を失ったみたいで、「ガラスでけがをしたんだよ」と病院で面会に来た人から知りました。
それが2018年の10月。(ちなみに私の誕生月…笑)
結構深い傷だったらしいです。大きな神経が4本、足にあるみたいですがそれを全部やってしまったみたい。繋ぎ合わせたけれど元に治るのは五分五分。個人差があるらしい。
……というふうに私は病院で説明を受けたのだけど。
最近親と話しているとびっくりしたことがあって。「足は治らない」と言われた。
本来、切断も視野に入れていてギリギリ免れたみたいだけど……そんな状況で。私は精神が常に不安定だったから希望を少しでも持たせてあげたいって思いで、回復する可能性もわずかだがあるって言ってくれたのかな。
たしかに、入院中、お医者さんとリハビリの先生の言ってることが違って戸惑ったことがある。
お医者さんは「回復までには何年もかかりますから。気長に」
リハビリでは「傷の回復は3か月までがピークなんです。それを過ぎたら緩やかになってしまう」
だから足首の曲がりがほどんどできなくて、杖なしで歩けない私を見てリハビリの人は少し焦っていた。
とはいいつつ今は杖なしで歩けるまで回復。たしかに足は動かせないけども。
周りには、まさか足が動かないとは気づけないくらいになったと思います。実際言わない限り誰にもバレていない。
だけど道のりは思い返すときつかった。二年は神経痛で毎日死にたかったです。神経って、皮膚の上から撫でたりさすったりしても何も意味がない。体の中で逃れられない痛みを延々流されてる感じ。耐える、の一択。
3年目で痛みを感じない生活を手に入れた。そして杖と装具、装具靴も捨てた。
この時独り暮らしで、一人で歩くことに不安はあったけどそれよりも周りからの嫌がらせを受けたくなくて、一人で歩く選択をした。
初めて障害者になって、誰から見てもけが人と分かる格好をすることになり、レジの割り込みや後ろから「はやく行きなさいよ」と押される、わざと進行方向を塞がれる……など。初めてでびっくりして。静岡ってこういう街なんだ……って冷たい印象を持った。
なんだけど、面白いことにこれが障害者の見た目じゃなくなってからは一度もないんだよね笑
皆さんはどう思います?
弱いものにわざと邪魔をして自分が優越感に浸る……、私の兄もそういう人で二度と関わりたくないってのは置いておいて。
後遺症で選択肢が少なくなって、生きずらさを更に感じるようになった今、中途半端な障害で障害仲間も作れなかった私。これからどうやって生きていくのだろう。
まとまりのない文章ですみません。
また、更新しようと思います。